要約

筑波大学教育研究科 丸山洋幸

本研究題目
福田理軒『測量集成』の体験的学習を通した生徒の数学観の変容 −量尺・量地儀を使った三角比・対数の授業−

1.はじめに
 本研究では『測量集成』に登場する「量尺」と「量地儀」と呼ばれる道具を題材として、その道具を使いながら三角比や対数の有用性を具体化できるか否かを考察した。

2.研究目的・研究方法

研究目的
 原典、及び教材化されたその当時に使用されていた道具を利用した数学の学習から、異文化体験と数学観の変容が授業内で達成することができるかを考察する。目的達成のため以下を課題とする。
 (1) 当時の測量で使われていた道具の利用を通して、三角比が日常生活の中から発展したものであるということを認識できるか。
 (2) 原典解釈を通して、数学は文化を含めた歴史的発展を遂げてきたものである、という数学観を持つことができるか。

研究方法
『測量集成』をもとにオリジナルの教材を作成し、授業を行う。授業テキストとビデオによる授業記録、及び事前・事後アンケートをもとに考察する。

3.『測量集成』の教材化
 測量集成は、1856(安政3)〜1867(慶応3)年にかけて和算家・洋算家であり、順天堂塾の創始者でもある福田理軒(1815〜1889)によって著されたものである。当時、井野浦が日本全土を測量した際には長さの比が中心の測量であった。19世紀にはいると日本に外国船が次々と来航し、幕府が1825(文政8)年に外国船打ち払い令を出すまでに至った。この危機に、幕府は測量技術の向上を求め、国内では多くの三角法による測量関係の著書が出版された。これらの本を福田理軒が体系的にまとめ、順天堂塾生用に書いたのが『測量集成』である。
 『測量集成』を教材化するにあたり、得られたことは以下のとおりである。
・測量集成で紹介されている新しい測量を支えたものとして、八線表と八線対数表が挙げられる。これは半径1の四分円のある角度に対する八つの弦の長さを、少数第6位まで記したものである。いわば、幕末版三角関数表である。
・八線表の歴史的な背景は直接的には、中国から流入した書物を日本語訳した中根元圭の『八線表法解義』(1727)によってである。これに実用性をもたせて広められるようになったのは、測量集成が出版された前後の幕末の時代である。ゆえにこの測量集成は和算から実用性のある西洋数学への転換を担った重要な著書である。
 これらのことをもとに、測量集成の初編から第2編にかけての測量計算の変化を示すことによって、数学自身も発達してきたということを授業で具体的に伝えていくこととする。

4.「量尺」と「量地儀」の数学的解説
報告書、スライドなどを参照。

5.『測量集成』を題材とした授業概要
報告書、スライド、テキストなどを参照。

6.議論
課題(1)について
 事前に行ったアンケートでは、三角比に対する需要についての肯定的意見が11名、否定的意見が16名であったのに対して、事後アンケートではその数が逆転する結果となった。このことから、この原典による授業を行うことによって、生徒が三角比の学習において三角形の辺の比を意識するように変化したと考えられる。そしてさらに三角比が測量という日常生活の場面において利用されているということが意識できるようになったと考えられる。また、幕末の測量道具の利用という異文化体験が、興味関心という面を支えていたことも事後アンケートなどから確認することできた。

課題(2)について
 事後アンケートの結果から「(幕末に数学が)変わらなかったら今の数学はない!」や「近代的な日本を作った中で数学という発展が、理軒などの人たちによってなされたということを教わることはとてもよい」などの意見が得られた。これにより生徒が、数学は文化を含んで歴史的発展を遂げてきたものであるという数学観を持つことができたと考えられる。

参考文献
・福田理軒総理・花井健吉編 (1867). 江戸古典科学叢書37 測量集成. 解説:大矢真一. 恒和出版(1982)
・礒田正美 (2000). 手段としての教具から媒介としての道具への教具観の転換に関する一考察:数学史上の道具の機能・制約とその反映に関する検討. 日本数学教育学会 第33回数学教育論文発表会論文集. pp.53-58
・松崎利雄 (1979). 江戸時代の測量術. 総合科学出版

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