1. 序論
1.1. コレクションの目的
この博物館に収められている数学機械のコレクションは現在でも更新されている。それらは、古代ギリシャから20世紀に至る実験探究の科学技術に関する文献記述、及びそれらを活用した教育実践の流れに基づいて、制作復元されたものである。このコレクションの傾向、すなわち、数多くの資料作品中から何を選択提示するかということは、このコレクションの教育的な立場により決められたものである。これらの作品を体感することによる、いくつかの教育的な利点をあげてみよう。まず、そのこと(体験)により、学習者の興味を喚起し、直感力と想像力を養い、数学的モデルと現実の間の溝を埋め、探究心と創造力を培うことに役立つ。 また、この学習に関連して、多かれ少なかれ (教師、生徒に限らずすべての)学習者は、自分が(その装置に関わる)歴史的な次元に存在すること(疑似体験)、および数学と社会や文化の間の関連を顧みる(両者の融合を感得する)といった新しい、あるいは非日常的な状況場面に自ら自然に向き合うのである。このとき、学習者は歴史の軽視、我々の過去の否定、というような誤った考えに陥ることから免れることができるであろう。しかしまた一方で、以下に示す困難に直面するかもしれない。
1.2. 現実と仮想のモデル
数学的な特質により、博物館の機械は仮想モデルとなりうる。(すなわち、コンピューター シミュレーション) しかし、状況は深い問題をはらんでいる。認識論的な見方によれば、具体的な数学的なモデルと(自分と)の関係から、2つの異なる種類の数学的モデル間の関係と(それを認識する自分)の認識方法の転移が存在する。さらに、具体的な3次元対象物の物理的な処理(実験装置の操作)は、(コンピュータ上で)マウスによって仮想対象物を操作する事よりもはるかに豊かで、多くの環境、体験を提供する。実際の(あるいは想起される)物理的な操作は殆どの場合、コンピューター シミュレーション の作ったものを基にしている。学習者は物理的なモデルと仮想モデルの両方を持ち、実験観察する事が望ましい。
1.3. 科学と技術
あらゆる科学にとって、数学はその科学以前の手段、すなわち道具として有用な分野として位置付けられている。その分野では「captive (捕らわれ者)」 となっている。しかし、他の科学、人間活動に比べ、(あらゆる方面で)数学は分析を押し進め、状況を把握し、研究を豊かにし、探究の方向性を指し示す役割を担う。
このコレクションの作品は沢山の示唆を持っている。実用上にしろ理論上にしろ、これらの作品はその設計思想には、数学的内容が深く関与している。(具体的であるために)数学的な対象そのものとは著しく異なってはいるが、それらは互いに寄り添い、発展してきた。その一方で、数学は常に実学(工芸技術、芸術、工業技術、商業 etc)とは区別されて考えられている。両者は連携をとり、固い絆で結ばれるべきである。
機械や器具は科学と技術の間の接触(摩擦)面となっている。そこではお互いが「言葉」を生み出すことによって、均衡点(折り合い)を見出す傾向が常である。しかし、あまりに形式化された科学思想によって、非科学的な現実を生み出す可能性も常に存在する。
1.4. 数学と幾何学
このコレクションは確かに - 数多くの機械の中で、また、非常に特殊な領域において - 幾何学に偏りを見せているかもしれない。しかし、それはこの幾何学という限られた世界が、遙かに大きな、普遍的な歴史的事件を説明することによる。このことは、常に現実的な活動と関連して数学を考えるという意味においては - 厳密な世界では完全には除くことができないのだが - ある筋道を指し示すものである。それは今日でもそうだが、常に道具(機械)と理論の間の働きかけにおいて確実に起きていることである。
2. いくつかの文化的な問題
2.1. 序論
これらのモデルは広い時代範囲を持っているため、詳しい個々の状況はおいておくことにする。ここで、以下に述べるような法則や抽象概念の具体化に主題のある場合や、いくつかの機械開発目的に特徴付けられている重要な変化のある場合は(文化の)推進者となる。このような例をまとめれば次のようになる。
a) (しばしば魔術的要素を伴った)人工有機体としての機械から自然と人工物間の相違が少ない機械への変容 (例 Descartes デカルト)
b) 全体が設計され、個別的な部品により組み立てられた機械から、熟練した教養の高い技術者による基本的な部分においてまで分析され分解された機械への変容 (例 ルネッサンスの熟練した職人の絵画)
c) 精密さには機械が必要であり、その一方で、機械は精密な部品によって作られることが必要であるという矛盾の発見
d) 物理学と機械の製作理念の分離 (19世紀初めより始まった)
2.2. 古典的な時代
Euclid ユークリッドの幾何学における直定規とコンパスは問題解決のための正確な計算器具であった。その理論はこれらの器具による数学モデルにより展開された。ここでは厳密な規範がある。それは定規とコンパスによる作図(理論の構築)が幾何的対象の存在基準となり、無限の概念は作図の繰り返しが問題場面を収束させるに違いないときのみ許された。しかしながら、この作図法の基準はその対象の性質の存在にのみ関わった。すなわち、幾何学的な「truths 真実」は発見されるものであり作られるものではないということである。 (この確信は数学者によって長い間、近代に至るまで主張されてきたことである) ギリシャ数学が他の器具を知っていたことが分かっている。その意味における(定規とコンパスによる作図以外の)解法の発見は暫定的なものと考えられてきた。この理論的選択は我々から見ると確かに貧困な発想のように映る。 ギリシャの哲学者たちには現実的活動とAristotle アリストテレス の影響があった。異なった種類の理論の混合の禁止は、空間と時間の比較、同等でない大きさの(比較する次元の異なる)問題とのかねあい、異なった流れとの融合(現代的感覚による構築) といった問題が提起する認識論的な障害に長い間なっていた。このようにして、幾何学(理論=哲学)と機械(技術)の間の分離は、ギリシャの思想に代表されるが、慣例となっていた。このことは円錐曲線の理論における切断の方法が他の時代の技術者たちになぜ採用されたのか、なぜ、光学が純粋な幾何学と考えられたのか、また、なぜ静力学が大きな位置を与えられているのかということを説明できるかもしれない。
2.3. 近代
16,17世紀において、数学研究は humanists 古典文学研究家によって再興された。文化的な空間は依然中世の伝統に基づいた思考法特徴づけられていた。何人かの重要な発明家が公的な文化機関の外から登場し、強い緊張と対比を生み出し、科学(数学)思想に重大な変化をもたらした。
2.4. 代数学
その当時、幾何学はギリシャ幾何学にみられたよりも具体的で現実的な、深い繋がりを持つものとして考えられていた。ここにおいては、Euclid ユークリッド幾何学が現実モデルであることを理解することやEuclid ユークリッドの体系を自分たちのものにする事は難しい。特に Euclid ユークリッドの大きな数の比についての概念を理論基盤に見るということはまずない。この流れによって幾何学と代数学の間に融合が起こる。代数学は大学よりも新しい商業活動の分野において、研究者よりも実業家によって発展した。代数学は数学にいくつかの用語上の、また技術的な発明や、より先入観のない精神、および理論構築上の異なった手法をもたらした。
代数学は次のような一面を持つ。すなわち、科学者が発明発見について、その従前との比較や優越性を説明するために証明を展開するという場面において大きな威力を発揮する。また、その一方において、代数学は数学的な決まった書き方の表現により - それは数学者の言葉なのだが - 絶対的な特質を伴って、対象に合わせるというよりは寧ろ互いの関連についての認識を難いものにしてしまう。(その認識を得るためには相当の代数学の習熟を要する) 確かに数学者の想像力は未だに(そして長い間)幾何学的である。しかし、定理の積み重ねの過程は Descartes デカルト以後、急速に発展するようになった。 解析的な手法は、最初は(各命題毎に)限定的に(手法として)総合的に積み重ねられ、 後には(解析的手法そのものが)自立したものとなりそしてそれ自体の持つ厳格な規準によって精密になっていった。機械を用いることは - 特に曲線を描くことは-解析幾何学、抽象代数学、解析学、関数の概念の、理論的、歴史的な発展において基本的な役割を演じた。
2. 5. 透視図法
他の重要な発明は3次元空間を平面への表現技法(すなわち、透視図法と切断図形の図法)に関連したものである。これらは15,16世紀に工房技術者、建築家、軍事分野、航海術の分野などで研究され、発展した。この透視図法は16世紀になって、芸術において花開くことになる。その重要性と熱狂の理由はその当時の文化と深く関わり合っている。投影法においてはイメージは距離と視点の位置によって決定される。このことは古典的な過去の間に持っていた historical distance 歴史的な距離によってもたらされたその時代の世界観と完全に一致する。 その世界観は - 透視図法的な距離の用に考えれば - 透視図法が視点を絵の中心に据えるように、人間の心を宇宙の中心に置くというものであった。このような状況を真正面から眺めるということは、多くの論文にとって有効なことである。なぜなら、そのことによって、調和と比例の美を通して数学的な空間の創造を際だたせるからである。しかしまた一方において、このような調和を司っている法則や実現に向けての活動をする者自身がその調和と統一の一部分であることの問題の存在が指摘される。 技術者の持っている力は国王のもつ力ににている。彼は人間の美徳や知恵、好機をものにする方法を科学的な知識によってその分野領域の構成法や主張方法を知っている。 これは地上に棲む俗人の力であるがまた、神の力と同質のものである。なぜなら創造できるものであるからである。この方法によって、ルネッサンスの作品においては主観と客観は互いにというよりもむしろ包含され、客観(特に科学的客観)は主観に関わっている。法則の形態は変化を含んでいる。この法則そのものが許容の可能性を持っている。ルネッサンスの画家(の表現、対象)は人間を中心としたものであった。アナモルフォーズや奇妙な遠近法は(個々の芸術的側面は横に置いておくとして)習作のためだけでなく、哲学的意図を持つものであった。同じ法則が調和と美の法則にも隠れているかもしれない。 もし、対象の表現が観察者に与えられた視点からは正しいイメージとは限らないとしたら、我々は見ているものに確信を持つことができるだろうか? 新しい科学が我々を部分的な真理(円錐アナモルフォーズの中の円のように)を与えたとして、神以外、誰がすべてを把握できるのか?(Pascal パスカル) そのように破壊的で同質の空間において、その基盤や探究法、科学の源泉を模索する間、その solitude (孤独感)を如何にすれば克服できるのであろうか? (Descartes デカルト)
透視図法についての関心は17世紀にはいって純粋幾何学の発展により整えられていった。数学的な画法の考え方は早くから起こっていた。(Piero della Francesca ピエロ デラ フランチェスカ) 経験的な実用研究や数学器機が芸術工房で使用されることによって自然に発生した。機械の機能は2つの要素を持っていた。直接的には、絵画法や建築における自動描画器についての研究が射影幾何学の初期段階を精密に組み立てていった。間接的には、作画の必要性から、機械は科学者たちを画法幾何学の手法の発展に導いた。それは言葉による記述よりも遙かに効果的であった。
2. 5.機械学
3つめの要素は Aristotle アリストテレス の科学概念、それは機械的な技術の軽視であるが、その積極的な拒絶である。これはまさに今述べた2つの要素の拡張されたものである。機械技術の革命(15世紀に始まったものであるが)は社会的な科学技術の重要性や新知識層 artist-engineer技師の誕生と関わっている。ルネッサンスの集会場(そこでは多くの技術者が集まって仕事をしていた),商業分野(そこでは位置測定器具、天体観測器具、計算機の需要があった),職人、芸術家、技術者、科学者たちの間の情報の交換は、 重大な役割をこの過程において演じた。 ここには科学的な知識を伴った芸術と技術活動の融合や active(活動的)な生活とcontemplative(瞑想的)な生活の間の対立を克服するという傾向があった。この時代の機械への関心は多様なものであった。自然界の理解を意味するもの、知性と発想、地位の象徴、抽象理論構築のための道具などがそこにはあった。
この関心、それは社会全てに関わることだが、自然界の数学的な解明過程に貢献した。この過程は2つの大きな側面がある。1つ目は Renaissance naturalism ルネッサンス自然主義に関わるものである。そこでは、数学は人間活動としてのものだけではなく、現実にあるもの(自然界の)言葉である。 2つ目は 地球物理学と天界の物理学、数学的現実像等の間の多重性の否定である。機械はこの両面を演じてきた。前者では象徴的にあるいは魔術的な意味を主張し、後者は動機や最後のゴールを提供するものとして数学を理解した。
2.6. 幾何学的な機械
このささやかな幾何学の機械コレクションは特別な役割を持っている。研究者の特別な目はユークリッドの図版にある機械を心の中で操作することによって理解することができる。この活動は新しい構成と機構を暗示する。ある一方では、機械が理論に先行し、禁止事項や文化的伝統からくる障害の克服の方法を提示する。また、他方では、意味付けや物体を制御する法則関数の変化により、理論の発展準備状態であるかもしれない。 機械は現実のものであり、また同時に心の内にもあるものである。 数学と機械の間の将来の関係は、それぞれの発達により、お互いの運命を別個に分担するような事はできない。文化的な空間や機械と数学の対象の間の変化は (たとえ少しでもそれらに注意深い配慮が加わるとしても)同時に変化する。
3. モデルの分類
我々の現在までのコレクションは5つの部門に分けられている。(重複を含む)
1) 円錐曲線の幾何学
2) 射影と透視図法
3) 変換
4) 曲線のグラフ
5) 問題解答機
3.1. 円錐曲線の幾何学
最初のグループの図版は Menaechmus メナイクモス 、 Apollonius アポロニウス の古典的な理論である。これらは2つの点で異なっている。 Menaechmus メナイクモス は直角三角形を回転して作る円錐(直円錐)のみを使用した。切断は axial triangle 軸三角形の斜辺に対し、垂直に行われた。それ故に全ての円錐曲線を得るには異なった種類の円錐が必要であった。これに対して Apollonius アポロニウス は一般の円錐(斜円錐)を使い、異なった角度で平面で切断を行った。それ故、同じ円錐から全ての種類の円錐を得ることができた。 Symptoms (特徴的な性質)は両巨匠によって空間図形による理論により得られた。ここで、Apollonius アポロニウス はそれら(の曲線及び性質)を(それの存在する)領域に適用する事によって平面に移行した。この方法によって一般的な名前 (ellipse 楕円、 hyperbola 双曲線、 parabola 放物線)が発明された。また、いくつかの問題は提示されたまま残った。それは円柱の切断と楕円の間の一致の問題や、双曲線の2本の分枝が同じ曲線の一部として扱われてはいなかったというような問題である。 このグループのモデルはstatical(静的)であるが、我々は歴史的な立場に立って、これらを見ることでmental(思考)機械に変える事ができるだろう。
第2のグループは平面に曲線を描く機械を含んでいる。3次元空間における装置は古典的な定義による直接的な機構である。他のものはそのsymptom(特徴的な性質)の知識をもとにしている。その機械はそのsymptom(特徴的な性質)に従って作られた。この方法によってsymptom (特徴的な性質)はその位置を変化させた。symptom (特徴的な性質)はもはやstatic truth 静的な真実ではなく、活用され、円錐曲線を形成するものとなった。また、円錐曲線に備わった個々の関係は別にして、関連付けられた機構の固定部分に関しては、曲線上の点は平面上に置かれた。 いくつかの場合(Paciotti パシオッテイ の機械のように)同じ機械が、小さな連続的な操作により、全ての形の円錐曲線を描くことに使われたに違いない。 このような方法において、2つの重要な問題に焦点が当てられた。円錐曲線の統一的な性質の問題と連続性の直感的な概念、それは17世紀には広く用いられることになるのだが、その重要性についての問題である。
円錐曲線の理論はいくつかの方向に発展した。それは、新しい種類の空間図形を表す平面という意味合い、 Apollonius アポロニウスの論文の簡易化、代数学を幾何学に適用させる為の要請などであった。この最後の流れは新しい性質が方程式論、それはその当時、論点が引き出され定式化されたものだが、それによって始められ、論文化されたのである。かくして流れは起こった。円錐曲線は、描画された図形として幾何的な性質を内に含み、知的かもしれず、幾何学的な理論に依ったものであるという3重の方法を持った数学機械になった。 新しい理論の'discovery'発見のために新しい機械が設計されるということはしばしば起こった。直交条件で動く機構は斜交条件でも再考され、準円の性質は菱形の性質を使った機構の考案を暗示した。時折、古い装置が(諸理論の)互いの関係をよりよく理解する事ができるということで、新しい理論的な位置を与えられた。新しい幾何学を創造する場合、例えば、2本の動直線による交点の軌跡としての円錐曲線の生成(Newton:ニュートン)は、独立して発展していた射影幾何の概念をよりよく説明するものであった。
16世紀以降、数学化への入口は大きく開いていた。数学と機械はもはや切り離せないものになっていた。その一方で、数学者はより専門化し、機械をmental思考モデルと考え、建築学上の実用的な問題の解決のための技術から去っていく傾向があった。
他のグループのモデルは Dandelin ダンデリン の円錐曲線の理論を示した。この巨匠は(19世紀において)ギリシャ数学の視点を再考した。円錐曲線を円錐に戻し、新しい結果を見出した。かれは直感と継続の原則を繰り返し、とりわけ彼は興味深い平面連続曲線族( Quetelet クオテレット 他によって研究されたfocalcurves 交叉曲線)を生み出した。彼の研究はいくつかの過去の観察を実証した。それは新しい機械の制作およびすでに知られていた機械の定理枠の拡張によるいくつかの曲線の生成を示唆した。(例 Newton's square ニュートンの正方化 )
3.2. 射影と透視図法
1506年、A Dürer デューラーはイタリアを訪れ、そこで精密な透視画法の理論を発見した。その研究と幾人かの技術者との会合の成果は、彼の論文の中に数ページの記述と有名な4枚の図版によって集約されている。その Dürer デューラーの4つの機械は最初のグループモデルとして復元した。それは現実の模倣のための装置である。2つ目のグループのモデルは幾何学的な理論に基づいたもので、その理論抜きでは考えられないものである。
最初のグループのモデルは以下の観点によって作られたものとして興味深い。
1) 実用上の困難と高度の自動化という装置の目的による技術の変化。しかしながら、機能の洗練にもかかわらず、後に暗闇に追いやられ、より高い機能を持つ使いやすいものに取って代わられた。
2) 透視図法の器具は貧困な知識 - あったとしても空間を絵画面に写し描くという数学的な法則であるが - 魔術的な位置にあった。
3) 透視図法の装置は職業画家ではなく、一般アマチュアによって使われた。一般人は簡単な使用法を要求する。きわめて単純な走り書きのようなものから難解で、抽象的な論文に至るまで、色々な水準の多くの文書があった。
次に2番目のグループモデルである。ここで、我々は次のように言うことができる。
1) 器具の巧妙な操作と Stevin&n ステヴィン の定理の間の密接な関連が存在する。もし、画面が水平線の周りを回転し、また、観察者が地面と平行に脚を同じ方向へ回転させるとしたら、透視図法はそのまま画面が水平面に拡張された状態においても存在する(適用できる)。 この Stevin ステヴィン の理論は De La Hire ヒーレ の円錐曲線のその定平面への切断面を含む平板化に於いて採用された。ここでは、円錐曲線は円の変換図形として扱われる。幾何学的な変換の生成においては特殊図形の点の同定、のちには平面全体についてに関心が当てられた。
2) Lambert ランベルト の機械は全ての平面図形の変換表現の簡単でもっとも自動的な問題の解決を示すものであった。これはその大きさと正確さによって実用としては有用ではなかった。しかしそれは平面 homology ホモロジー の性質を表すもの、18世紀の機械工の理論の影響を説明するもの、として理論的に重要なものである。
3つ目のグループモデルは アナモルフォーズ(歪曲画)に関するものである。歴史学者はアナモルフィックなイメージの生成はある絵画の傾向、自動化とデカルト哲学への傾倒に関連して始まったものといっている。数学的な透視図法の見地から言えば、平面アナモルフォーズにはすでに知られた標準的な透視図法として何も付け加えるものはない。それは同じ法則から生まれた腹立たしいような用法である。しかしながら定式化された手引きのおかげで経験主義的な推進者によって多くの必要性があった。 鏡映によるアナモルフォーズは全く新しいもので研究は困難であった。この場合、あまりに多くの機能モデルが実験に使われたため、(我々の研究にとって)本質的なものではない。
3.3. 変換
19世紀の変換の概念の重要性は、独立した系統的な研究分野としての射影幾何学の発展と関連している。その初期段階(Desargues デザルグ, Pascal パスカル, De la Hire ヒーレ, など)において、射影における幾何構造の不変性質の研究は実際的な問題というよりは、寧ろ運動や連続性にあった。 いくつかの探究傾向が変換の研究に集まった。例えば次のようなものである。 Bravais ブラバイス の結晶構造の研究、 Jordan ジョルダン の 運動群の研究、 アフィン幾何学についての研究(Euler オイラー)、変形の技術と(barycentric calculus)重心の微積分学、 Helmotz エルモッツ や Lie リー の剛体の運動力学の研究。 より初等的なレベルでは、Euclid ユークリッド以来、対称変換は幾何学において(しばしば暗黙の内に)中心的な役割を演じた。その(初等幾何)構造群は、群の抽象的な概念が適用される以前に用いられてきたものであった。
19世紀において、機械工学は一つの技術分野となった。運動の変換のための連動装置やリンケージの研究に注意が向けられた。実際、抽象的で理論的な面(知的な発明に強く関連していたのにもかかわらず)は現実を観察し記述するという視点を一変させた。それ故、変換と不変の理論は解析学と機械設計に新しい光を投げかけた。基本的な例が Scheiner pantograph シャイナーのパンタグラフ と Peaucellier inversor ポーセリエの反転器 である。 リンケージの研究は現在でも未だに理論(algebraic geometry 代数幾何学)と応用(robotics ロボット工学やcomputer science コンピューターサイエンス)の境界領域である。
いくつかのモデルはもっとも初等的な平面変換を見せている。(isometries 等長変換、stretchings 伸縮変換、homoteties 相似変換) 対応する点は2次元の自由度を持ち、直接にあるいは軌跡として表された。
これらの装置がより複雑な機械を組み立てるための部品に違いないと考えられる一方、そのいくつかはより基本的なリンケージを作り上げた。いくつかの装置は特殊なものや別のものの一般化と考えられるかもしれない。
全ての機構は「local 」(局所的)な装置である。それらは幾何学的な変換が定義される間、限られた平面領域と、大域的に平面上の全ての点との一致(対応関係)を決定する。 装置によって定められる幾何学的な変換はリンケージの物理的な運動と直接は関係しない。しかし、リンケージの探究によって、いくつかの変換の関連が位置づけられ、後にすばらしい解決方法(Kempe ケンペ,1876)が示された。このような一面は変換のためのリンケージを初中等教育レベルの生徒たちにとって、最適な実験の場を提供する。
他のモデルで注目するべき点は3次元空間と平面間の緊密な結びつきである。例えば、 立体射影と鏡映反転 間の関連や太陽の影という自然現象とアフィン変換の関連を図解したものがある。
3.4. 曲線のグラフ
我々はすでにいくつかの円錐曲線について述べてきた。ここで、色々な次数の代数曲線や変換された曲線を取り上げよう。話題となるものは膨大である。代数曲線はしばしばすてきな形をしている。しかし、重要なことは、いくつかの基本理念(幾何学や解析学において)を構築するための場となることや、異なった困難な問題を解くための手法の発見といったことである。
連続的な動きによって曲線を描き、機械的に描画するために、いくつかの装置に内蔵されているに違いない曲線の性質を使うことが可能である。それ故、同じ曲線を描く装置はある意味で互いに同じものと考えられるかもしれない。古典的な透視図法において、 同じ曲線を描く全ての装置は 曲線の「nature」(性質)を特徴づけをする。それぞれの数学的な対象は(特有の)性質を持っているという考えは19世紀になってようやく問題とされたものである。いまや我々はコンピューターという装置を持っている。それはすべての幾何的な性質から離れて、そして(点)集合と実数(パラメータ)間の膨大な関係にのみ焦点を当てて、どんな実関数曲線も描くことができる。
曲線は適当な変換によって既知の曲線となる事ができるかもしれない。これは 直線を描くことのできる機械を設計する問題において、 Peaucellier ポーセリエ によって得られた解決の例である。この逆もまた真実である。しばしば、曲線の研究は変換のためのリンケージの発明に導いた。
すでに知られているものから新しい曲線を描く他の技術があった。それは機構設計の助けになった。例えば、pedal curve 垂足曲線である。
同じ曲線が色々な方法で描かれたに違いない。このようにして、代数曲線間の関連網が形作られた。
幾何学において、基本的な役割は Descartes Géomètrie デカルトの「幾何学」においても論じられたものであるが、「mental machines」(思考上の機械)によって演じられてきた。この種の理論的な装置に関する有名な定理は19世紀に Kempe ケンペにより示された。ここでは、平面n次元代数曲線をリンケージによって描く一般的な方法が述られている。
この種の機構の解析は2つの補完的な作業からなっている。まず、その機構を動かすことによって複雑な機械の各種要素となるような隠された同質性や基本的な形の幾何的性質を見出すために同じ曲線を描く機構を比較する。 次に、機構の「biography」(歴史記述) の研究である。それは関連した数学的な対象のものと部分的に重なるが、理論的な構造が異なっているとしても両者の立場を変えることができるにちがいない。超越的な曲線は大変興味深い「biography」(歴史記述)を持っている。それらはギリシャの古典にまでさかのぼり、そして多くの興味深い貢献を微積分学の発展に見せている。
3.5. 問題解答機
最後のグループのモデルは問題を解くように設計された装置である。これは何世紀にもわたって研究され、数学の発展のために重要な役割を果たした。ここでは、角の三等分問題と倍積問題について言及した。いくつかのモデルは同じゴールを目指す装置全体の中の先駆的なものである。他のものは知的ゲーム的要素を多く持っており、またその時代の文化的風潮を表すものである。