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アポロニウスの「円錐曲線論」 ―T.L.ヒース著.平田寛,大沼政則,菊池俊彦訳.(1959)ギリシア数学史.共立出版株式会社. より抜粋― 「偉大な幾何学者」と呼ばれたペルゲのアポロニウスは、アレクサンドリアにおいてエウクレイデスの後継者たちとともに学び、プトレマイオス・エウエルゲテス(紀元前247〜221年)と、プトレマイオス・ピロパトル(紀元前221〜203年)との治世に活躍した。かれはその「円錐曲線論」の第4巻以下をペルガモンのアッタロス第T世に献げた。だからかれは、アルキメデスより約25歳若いことになろう。「円錐曲線論」はただちに、この主題に関する権威ある論文とみなされ、その他の一切に取って代わった。セレノス(スイダスの語るところによれば)ヒュパティアとはその注釈を書き、エウトキウス(紀元後520年頃活躍)は最初の4巻を出版し、それに注釈を付した。この注釈は残存してハイベルクの4巻のギリシア語テキストに含まれている。ギリシア語で残存しているのはこの4巻だけであるが、アラビア語ではもとの8巻のうちの7巻があって、第8巻が失われている。最初の4巻はヒラル・イブン・アビ・ヒラル・アル=ヒムシ(883〜4年)によってエウトキウス板から、第5〜7巻はサビト・イブン・クッラ(826〜901年)によってある他の手写本から翻訳された。第1〜4巻の最初の重要な版はコムマンディヌスのラテン語訳(1566年)であって、それには、パッポスの補助命題とエウトキウスの注釈が含まれていた。第5〜7巻はアブラハム・エッケレンシスとジョヴァンニ・アルフォソン・ボレルリとのよって、アブル・ファトフが983年に書いた諸巻の複写本から、はじめてラテン語訳で出版された(1661年)。 ギリシア語テキストの〈初版本〉は、ハリーによる記念碑的な版本である(1710年オックスフォード)。第1〜4巻は、グレゴリにより、エウトキウスの注釈をつけてギリシア語とラテン語とで出版されることになっていたが、その仕事が進行中にグレゴリが死亡したので、ハリーがこの全企画の責任を引継ぎ、それにアラビア語からの第5〜7巻の翻訳と第8巻の試行的な復原とをつけ加えた。ハイベルクによる第1〜4巻の決定版(1891〜3年,トイプナー)は、エウトキウスの注釈のほかにアポロニウスの断片とその他を含んでいる。 |
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